『おジャ魔女どれみ』、さすがに良作過ぎるので思いの丈を綴ることにしました。
1999年放送開始の、魔法少女ものアニメの金字塔。
魔女に憧れて「魔女見習い」になった主人公「春風どれみ」と、個性あふれる仲間たちの人間ドラマを描いた作品。
作品タイトルだけでも知ってるよ、という方も多いはず。実際に「どれみ」ちゃんなんて名前の子はいたのだろうか。
本作品のTV放送は4年にも渡り、2度の映画化やOVA化(厳密には違いますが)も。
さらにシリーズの正統続編が小説(講談社ラノベ文庫)にて展開。
そして!昨年2020年にはシリーズ20周年を記念した『魔女見習いをさがして』が公開されました。作品の人気ぶりがうかがえますね。
なにを隠そう、筆者も『魔女さが』上映をきっかけにファンになった新参者です。
筆者の推しはあいちゃん。ほんまええ子なんですわ...好き(トクン)。魅力を語り出したらキリがないです。
グッズも可能な限り集めています。
女の子のフィギュアなんて今まで買ったことなかったんですけどね...。
大掃除の時期には棚にスペースをつくり、祭壇を設置しました。たくさんのあいこが筆者を見守ってくれています。
お手柔らかに。
1-2 『どれみ』の記憶
とはいえ、作品への知識がゼロというわけでもありませんでした。
筆者は幼少期に第4作『ドッカ~ン!』をリアルタイムで視聴。
当時『忍風戦隊ハリケンジャー』→『仮面ライダー龍騎』→『どれみ』の流れだったような気がします。いわゆる「ニチアサ」枠ってやつです。
起床後顔も洗わずまっすぐテレビに向かい、チャンネルを10に回す。寝起きで頭ははたらいていません。本能で動いていましたね。
視聴後ようやく顔を洗うべく洗面所へ向かうわけですが、『龍騎』のせいで鏡が怖くて仕方なくて見れない、というピュアなお年頃でした。可愛いな自分。
ところが今思い出しても、当時の『どれみ』に関する記憶があまりないんですよ。
『ハリケンジャー』はリボルバーマンモスがあまりにもかっこよくておもちゃをねだったものの玉砕したり、『龍騎』はドラグバイザーツバイのおもちゃで遊びまくったり(なおDX版ではない)。超普通の男の子って感じです。
しかし『どれみ』もある程度欠かさず観ていた、ということは確か。男の子にありがちな「女の子のアニメなんて恥ずかしい~!」という感情が明確に芽生えたのは中学生になってからです。それまではただ漠然と、流れで観ていただけですが。
別に『どれみ』に限った話ではありませんが、当時は映像作品を本当にシーンの連続としか捉えていなくて。
かっこいい画、面白おかしい画だけ強く印象に残っているわけです。
そして『どれみ』の記憶。これは以下の2点だけでした。
①デフォルメされまくったキャラクターデザイン
②夕焼け空
①はある種『どれみ』の真骨頂とでもいいましょうか。
幼い筆者であっても、記号的に理解しやすい絵でした。どれみのお団子ヘアや、リアルな体型とはかけ離れた、実に丸っこいデザイン。関節なんかもまん丸です。
筆者はこのキャラデザがツボで、すごく親しみやすかったわけです。
キャラクターコンセプトデザインの馬越嘉彦氏は天才。
(時を経て『ハートキャッチプリキュア!』に出会った...いえ、運命的「再開」を果たすわけですが、この話はまた別の機会に)
②は「?」と思う方もいらっしゃるでしょう。本作品では夕焼けバックのシーンが、劇中効果的に差し込まれていたような気がします(実際にそうでした)。
当時台詞の掛け合いからはストーリーの理解ができなかったので、その分、話を絵で理解しなければなりませんでした。そこで鮮烈に覚えているのが夕焼け。
赤は強い色ですが、そこに物寂しさと温かみを同時に感じたんですよね。
実際、これはスタッフが意図した演出だったわけです。演出の勝利ともいえるし、幼いながらも良い鑑賞ができていたな自分!と誇らしくもなります。
そんなわけで大きくなって視聴を試みたときは、ほぼ初見ではありつつも「懐かしいなあ」という感情も大きかったのです。作品にはすんなりと入れました。
『魔女さが』公開もあるし、今一度観てみようじゃんか~というよくあるノリで視聴開始。
今なら多少脳みそも大きくなってるし、内容を理解して楽しめそう。
2章 『どれみ』がすごいぞ
2-1 人間ドラマとして
...いやね、この作品は化け物だったんですよ。
「あ~ん懐かしい~!」「あ~ん可愛い~!」なんてちゃちな感情は、1話から捨てました。あまりに話が面白い。そして難しい。
可愛い絵に惑わされちゃダメです。いやいいんですけど。
話数を重ねるごとに、作品に対する期待値と「これどう解決させるんだ?」というハードルが延々と上がり続けていき...毎話「空までJumping」したかと思うとあっさり越えて来よる...。マジか...。
あっという間に全話視聴完了。今やEDテーマだけで泣けます(90年代~ゼロ年代のアニメ作品における、あのノスタルジックというか優しいメロディラインが好きな人いませんか?)。
もちろん、どれみをはじめとした魔女見習いたちがメインのお話です。どれみたちが魔女になるために様々な困難を乗り越えていく、というのが本筋。
しかし本作品の真髄は、冒頭で述べたように人間ドラマにあります。
そこで注目すべきは、世界観を構築するモブキャラクターたちの存在です。いや、もはや「モブ」ではない。
たとえばクラスメイト全員に苗字と名前、性格やバックボーンまで用意されている徹底ぶり。しかも1話分エピソードを丸々使って、その各クラスメイトの家庭事情やらなんやらを話のメインに据えるわけですよ。
学校という小さな社会を、あまりに真正面から描こうとしているんです。
そしてその社会に対して、どれみたちはどのようなアプローチをとるのか?
これぞ、本作の一大テーマではないかと。
2-2 『どれみ』が描くリアルと、課題「解決」に向けて
構図としてはこうです。
問題を抱えたクラスメイトに対し、どれみたちが首を突っ込んで解決を図る。
ホラ吹きでなかなか友達ができない子。身体の成長が周りよりも早いことに悩む子。クラスに居場所を見出せなくなって不登校になってしまった子...。
様々な問題を抱えた子どもが出てきます。読者の周りにもきっとそういう子がいたはず。ちっともフィクションではないのです。
もちろんアニメとして、複雑な問題を記号的に落とし込んでわかりやすくしているわけですが。日曜朝の女児向けアニメです。ドキュメンタリーとちゃいます。
問題を抱えた子たちに対し、どれみたちは超が3つつくほどのお節介をキメます。
「アニメだから」「フィクションだから」というご都合主義的な話ではないのです。
『どれみ』という作品が社会を、世相を反映させているからこそ、どれみたちのお節介描写にはそれ相応の責任を伴うわけですよ。
問題をリアルに描いているからこそ、途中で答えを視聴者に丸投げしました、というのではあまりにお粗末です。
また、一方的な解釈を「正解」として押し付けがましく視聴者に見せつけるのも、違います。そうなれば、ただのプロパガンダ作品と化してしまう。
どれみたたちのお節介は、本来であれば解釈が難しいのです。
だってどれみちゃんたちは、あくまでクラスメイト、同じ小学生なわけで。カウンセラーでもなんでもないんです。
正直、はたから見ていて「余計なお世話だろうなあ」と思う箇所もいくつかあります。他人に対し、いわば無償の愛に近いもので接する行為はかなりリスキーです。第一現実にそんなことばかりしていたら、身が持たない。
でも、どれみちゃんたちにはできてしまう。解決‐‐と呼んでいいかはわかりかねますが、できてしまうんです。
なぜ?
どうして?
まだはっきり言葉にはできません。
気になる。
じゃあこの際、考えてみようじゃないか!という流れになりました(考察記事執筆の動機)。
...現時点で筆者は、どれみちゃんたちの行動様式に「やさしさ(仮称)」を見出すことで、解釈の糸口を探っています。
そしてこの「やさしさ」は、現代社会が抱える課題に対して、ポジティブなアプローチができるのではないかと思うのです。
...案外大袈裟な話でもないんです。「現代社会」とか曖昧過ぎやしますが、もう少し射程を絞るなら、「現代社会の若者」としましょうか。
さて。
背景にあるのは、現代社会に潜む‐‐どころか表出する子どもたち=若者の問題。
たとえば「キレやすい」若者の存在は、『どれみ』企画段階から度々挙がっていた社会問題の一つだといいます。
だとすれば、スタッフ陣はこうした問題に対する答え、とまではいかないでしょうが、なにかしらのヒントを提示しているはず。そしてヒントを汲み取って、咀嚼し、きちんと自分の中で考えることが大事なんだろうな、と思います。
2-3 『どれみ』再考の目的
『どれみ』の人間関係において、もちろん大人と子どもという明確な線引きがあります。そして子どもに教え、諭すことができる大人もいます(当たり前のようで素晴らしいことです)。
ただし基本はどれみちゃんたちを中心に、クラスメイトら当事者間で課題解決を図ろうとするわけです。否、解決といったらいい過ぎかもしれません。
つまり落としどころ、ってやつですね。結果が「社会的に」どうであれ、当事者たちはストン、とはまる落としどころをみつけていきます。
考察の目的は『どれみ』世界における人間関係の妙を見出す、ということ。
「妙」とは、魔法の存在然り(こいつが解釈をややこしくしている要素でもあります)、満を持して登場する概念「やさしさ」であるわけです。
そしてその「妙」のなかに、我々が生きる現代社会にとって、なにかしら有意義なメッセージがあるはずなんです。
して、結局「やさしさ」とはなんでしょうね?
今後レビューを通じてみていけたらなあと。
正直20年もの歴史の中で、『どれみ』が語り尽くされたといえば、それは否めません。
とはいえ令和のこの時代に改めて、『どれみ』初心者が、新鮮な気持ちで振り返ろうというわけでして。
もし「これは違うんじゃないか?」とか、「こういう考えもあるよ」などありましたら意見いただけると幸いです。
(まずは、意見をいただけるような質の記事をつくらにゃあかんな...。)
おわりに
とまあここまで長くなってしまいましたが、筆者は『どれみ』を通して、作中の人間関係にスポットを当てて「やさしさ」を探ってみたいわけです。
結論付けようという気はありません。そういう見方もあるな、程度の。
同時に、筆者は純粋に作品を楽しみたい。というか結局これが一番の目的です。
あまり細かい心理、情景描写にばかり目がくらむと、作品に対して穿った見方だけが先行して純粋にアニメを楽しめなくなってしまう。個人的にそういう鑑賞は嫌いです。
まあ全話解説とはいきませんが、ポイントをおさえつつ。
気ままにやっていこうと思います。
以後、お見知りおきを。