①
未就学児のころ、部屋の隅で埃を口に入れていたことがあったという。黙々と運び続けていたらしい。
「綿飴みたいに見えたのかね?」と言っても、友達からは何も反応が来なかった。
もう友達じゃなくなってしまったソイツから久々にLINEが来たが、返事はしていない。1122件目の塵となり、降り積もって埋もれた。
当時の俺は、口に放り込んだ埃を飲み込んだのだろうか。目下の問題はそこである。
②
未就学児のころ、電車が好きだったがプラレールは嫌いだった。あのデフォルメを子供騙しだと思っていた。VHSなどの資料で何度も見た車両と同じ顔をしていても、本質がまるで違っていた。
一方1500円くらいで買えたNゲージのダイキャストモデルは先頭車両しかなかったが、造形がリアルだった。リアルを手元に置いておけることが、たまらなく嬉しかった。
今は潰れてしまった、都内某所にあった百貨店「そごう」。じいちゃんがよく買ってくれたことを思い出す。
Nゲージの連結部分はゴムでできている。適度な苦みと弾力があって、噛むと歯のムズムズが解消された。片っ端から噛んだ。多分というか絶対苦かったのだが、ムズムズを抑圧するよりかはずっとマシだった。
どうやら連携部分だけ売っていることを知ってもなお、買い替えることはしなかった。
平たくなった連結部分はそのままで、どこにしまったのか、あるいはもう捨てられてしまったのか。
③
未就学児のころから、ぬいぐるみでたくさん遊んでいた。
家にあった、某米国資本アニメーションの、オレンジ色の犬を模したキャラクターぬいぐるみの鼻は尖っていた。
俺はその鼻をひたすら噛み続けたらしい。
一層尖ってしまって、鼻がものすごい伸びた。ピノキオのアイデンティティをも凌駕するほどに。
だいぶくたってきたのもあって、間抜け面になっていた。
間抜けなのは誰だったのか、今更問うのも野暮だろう。
④
未就学児の頃からお子様セットみたいなのが嫌で、大人と同じものを注文したがった。
お子様メニューの料理をデフォルメと呼ぶのかどうかは知らないが「これさえ出しとけばいいだろう」みたいなものが見え透いてしまって、腹立たしかった。
味が違うだろう、味が。
あの賑やかしのプレートに載ったハンバーグは所詮、ハンバーグを模した塊であってもハンバーグではない。似ているモノだ。マルシンのハンバーグは、それがマルシンのハンバーグであることを自覚して食べるから良いのである。
肉を噛み締める時に溢れ出る肉汁の旨さは、ガキにはまだ早いと言わんばかりである。
お子様ランチの、ハンバーグらしきものの上に立てられた旗を真っ先に引っこ抜いて、親が食べている大人のハンバーグに刺した。
急に間抜けになった大人のハンバーグを見るのが滑稽で、そういう快楽の味を知ってしまった。
④'
ケンタッキーでツイスターを毎週のように食べた。当時はたしか銀紙で包まれていた。
ガキの頃の俺にとってはだいぶ大きかったが、だからこそ食べた。食べ切ったら大人だ。すぐに腹がどんどん大きくなって、全身が膨れていった。おかげさまで今もデブである。
習い事の帰り道、月に1回ほど友人とケンタッキーに寄っていた。そこで何を話していたのかは全く覚えていないが、とにかくチキンを貪り食っていたことだけは記憶している。
友人は可食部がもうないように見えるチキンを、どこまでも食べ続けていた。軟骨が好きなのだという。
ボリボリと食らいついては噛み続けているので、一体これは何を見せられているのだろうとさえ思った。
話の内容を覚えていないのは、多分そのせいだろう。
当時軟骨を好んで食べていたアイツと、十年ぶりくらいに大学で偶然再会した。当時の記憶が曖昧なせいか、化粧のせいかはわからないが、俺は全く気づかなかった。相手から声をかけてきたあたり、俺はガキの頃からまるで容姿が変わっていなかったのだろう。
しかし、アイツはいかにもエネルギーに満ちた大学生という感じで
「おお軟骨でも人は立派に育つのだな」
と大層感心した。
④''
梅干しは皮が一番美味しいが、種をずっと口に入れたままの時間もまた、幸せだった。
ある日何を思ったのか、前歯で種を噛もうとした。ほんの一瞬の好奇心だった。ガリ、とやってしまって、前歯が欠けた。
この頃乳歯が生え変わりはじめた時期で、ちょうど前歯が乳歯だったのは幸いだった。
少しだけ、生え変わる時期を早めただけだ。
大人の歯がそのうち生えてくる。
欠けた歯は本当に乳歯だったのだろうか、と不安になって仕方がない。そういう日々が少しだけ続いた。
○.
なんでも噛みついてみる衝動はなくなったが、歯軋りがひどくて顎が痛くなる。
とりわけ酒を飲んだ後は毎度悔しがっているせいか、翌朝とにかく顎が痛い。
無駄に食いしばるために歯がついているわけじゃない。生え替わった歯は、そんなことのために生えてきたわけではない。
全ての歯が生え替わった瞬間を覚えているわけもなかったが、その瞬間は確実に訪れていたらしい。
そこには明確な成長があったに違いないが、そういう状況に対して、おそらくとうに身体に馴染んでいた。いわば、成長に慣れていたのだ。
思い返してみると普段固いグミばかり食べているのは、幼少期の記憶に起因しているのではないか、と思い至った。
なんでも口にしてみては、噛み続けるあの日々のことを思い出す(それにしては早食いが板についてしまって、そんな技術を会得せざるを得なくなった社会に苛立つばかりである)。
……じゃあその、埃は、一体……。
〈了〉
