○事例0
自動ドアにぶつかることが多い。何故か反応しないのだ。
いやいや俺もね、一生懸命生きている人間ですから〜〜〜!!
バードストライクってこんな気持ちなの?
それは悲しいじゃんかよ。
○事例1
なんでもかんでも自動の時代だ。
電車の遅延のお詫びアナウンスが自動だったとき「なるほどこれは確かに効率的だ」と思ったが、どうしても悶々としてしまう。
自動化するくらいなら詫びなくていい。別に何かトラブルがあったからといって車掌さんを責めたいなんて1ミリも思ったことはない。
「仕事なんてそんな感じでいいんだよ」
と人はいうけれど、わからない。形さえどうにかしていればいいのだろうか。
じゃあ何のために謝っているのだろう。どうして謝る必要があるのだろう。「別にいいよそんな、気にしてないのに」と言ってやりたくなる。
ところが次第に、取ってつけたようなお詫びの言葉に「悪いのはこっちななんだろ、こっちは謝ってんだから受け入れろよ」といった圧力さえ感じて鼻白む。「ごめん」と呟きたくなったのは、自分のほうだった。
ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな
(↑群衆A・B「ちょ笑 声ちっさ笑」)
……こういう話をすると「あと数年したら面倒くさいクレーマー扱いかな」と思うほかなく涙が止まらず、そうやってできた海を泳ぎ切る自信は全く無い。
底に沈んでいくとき、誰も泡に気づいてくれやしない。
ブクブク、ブク……お、気持ちでっけえ泡。やったね。自慢しちゃおっか。誰に?
○事例2
駅の近く、週3で通うファミマがある。頼むのはだいたいファミチキの辛いやつと、缶コーヒーと、235番。
最近おばちゃんが、お手拭きをつけてくれるようになった。
ファミチキは時折肉汁で手がベトベトになってしまうので、大助かりだ。自分からもらいにいくのも違うなと思うので、この上なくありがたい。
俺も買うものが半分自動化しているし、おばちゃんも自動化している。
オートメーションおばちゃんに「ありがとう」を伝えたいのだが、後ろに列ができていた。その流れを止めるわけにはいかない。
なんでもかんでも自動になるような時代で、身を任せてしまった時に自分の在処がわからなくなる。軸ってなんだ。
何故こうしたのか?
何故そう考えたのか?
考えることを止めて「こうしたらこうなるだろう」みたいな予想すら立てられなくなったとき、多分もう俺はいよいよ(小さな爆発音SE)。
ある日ちょっと外してみようと思って、おばちゃんに全然違う番号を言ってみた。
オートメーションおばちゃんは、特に何も疑わずそれを渡してきた。
ああ、まあ、別にそうだよな。
ふー
……げぇ!スースーするやつだった(←ここにぴえんの顔を挿入)。
○事例3
ほぼ毎日、川沿いを歩く。
時折カワセミが飛んできて、その綺麗な青が横目に入ると幸せな気分になる。人々はカメラを構え、川沿いがスポット的な賑わいをみせる。
当然虫も多いわけで、夕方になれば羽虫たちがミラーボールを作り出し、これから訪れる宵闇に向けた高揚感を演出しはじめる。
その横を勇猛果敢に突っ切ってみせるのだが、なぜか彼らも一緒になってついてくるので、俺は羽虫を纏う羽目になった。
翌朝、川沿いの手すりに、蜘蛛が巣を張っていることに気づいた。
風に晒されているためか綺麗な巣の形にはならず、複雑にからまったり、ゴミがついていたりして見映えはあまりよろしくない。
蜘蛛の糸に、絡め取られて鈴なりになった羽虫たちを見た。
この時期は自動で大量のご飯をキャッチできる、稼ぎどきなのかもしれない。
糸に絡め取られた羽虫たちが、昨日一緒に歩いた彼らじゃないことを、心から願う。
何の変化ももたらさないこの無意味で、惨めな祈りよ。
それでもどうか、届いておくれ。
(了)
